Spirits

Link The Heart Of Stylist.

私たち谷商会の考え方は、
創業の頃から受け継がれています。

Episode of

 

1940

1966

1980

1988

1995

1996

2004

2010

昭和15年

創業者谷吉秋は、昭和15年に神戸・長田で生まれました。戦争が終わり、父が戦死し、家庭は貧困であった為、毎日夜明け前から新聞配達をして家計を支えていました。
中学を卒業すると、弟を高等学校に進学させる学費を稼ぐために就職。この頃から仕事を通じて、生きることへの貪欲さ、そして人一倍の負けず嫌いを養っていました。

昭和15年

昭和41年

その後、美容器具メーカー・美容ディーラーを経て、昭和41年に独立。明石市・西新町にて事業を始めました。妻と弟の三人で、下町の自宅兼事務所からのスタートでした。

創業当時の商圏は、西脇から三田、篠山方面。この地域のお客さまに対して、誠心誠意を尽くし、地域の発展に貢献しました。

昭和41年

昭和55年

その後美容業界の発展と共に会社も少しずつ成長し、
昭和48年に神戸市垂水区西舞子に移転、さらに昭和55年に神戸市垂水区南多門台に移転しました。
この昭和55年を境に創業者の苦難が始まります。社員の独立、顧客の倒産、多額の負債、妻の闘病生活、さらに社内管理の乱れが生じ、会社は赤字に転落しました。

その後、妻と母の他界、社内不正者の続出などがあり、会社の経営はさらに悪化し、資金繰りにも行き詰まる程の事態になっていきました。

昭和55年

昭和63年

このような何度もの困難を持ち前の強い精神力と粘り強さで乗り越え、徐々に会社を再生させました。そして、昭和63年に長男(現社長)が入社、その後平成5年に有限会社から株式会社へ変更し、会社はある一定の落ち着きを見せました。

昭和63年

平成7年

しかし、阪神大震災によって、神戸は壊滅状態になりました。主要な顧客は営業ができる状態ではありませんでした。売掛金の回収も出来ず、資金繰りは一気に悪化し、
先の見えない状態が続く中で、創業者は一つの決断をしました。

いかに生き残るかより、
いかに生きるか。


水もガスも出ない、そして余震の恐怖が続く中で、自分達は避難することなく、顧客に尽くしました。全壊して立ち入りできない状態にある店の救援をし、自分たちも物資が不足している中で、それでも顧客のために物資を各地から調達し、お届けすることを懸命に続けました。

売上高は、前年の3分の1以下、年商2億円までに減少し、ほとんどの社員が会社を辞めていきました。もちろん、会社の倒産は覚悟してのことでした。このような中でも創業者は、顧客に尽くす姿勢を崩すことなく支援を続けました。


そして、このような絶望の中で新たな社員との出逢いがありました。

また、取引メーカーさんからも、物資の提供、支払いのリスケジュール、人的支援、企画協賛など、本当に多くのご支援をいただきました。

平成7年

平成7年

そして翌年、奇跡が起こりました。
予測を上回る復興の速さ、そして土地代、テナント家賃が安価になったため、新たなテナントには多くの美容室が開業しました。その美容室のほとんどが当社とのお取引をご指名してくださり、会社の業績は震災前を上回る、奇跡のV字回復を遂げました。

ここからが、震災後に出会った社員たちとの第二創業のスタートでした。


その後も、資金繰りと人の問題における苦難は続きましたが、新たに出逢った社員たちと共に幾度もの苦難を乗り越え、平成14年に現在の社屋が完成。新卒社員の採用へ転換し、外部研修も技極的に導入、人材操用と教育に取り組み、さらに事業を仲長していきました。

平成7年

平成16年

新たなパートナーメーカーさんとのご縁を載き、顧客支援活動を強化することで、毎年5%ずつ事業成長する、年輪経営の礎を築き上げました。
創業者は、同業者の秩序を守り、地域のために、全国美容用品商業協同組合連合会の理事を長年動め、社業だけではなく、業界の発展のために真摯に尽しました。

平成16年

平成22年

その後、平成21年に会長に就任。翌年、急な病が襲い、69歳で他界しました。

社葬では、本当に多くの方々が参列して下さいました。
これも生前、創業者が人を大切にする、困っている人を助けるという人徳を積んでいたからであり我が社が様々な苦難を乗り越えて、現在の基盤を楽くことができたのは、同違いなく創業者の義理人情という生き方があったからだと、あらためて確信する場となりました。

平成22年

このようなエピソードがあります。
会社から少し離れた場所に、ご年配の先生がおひとりで経営されている小さな美容室がありました。先生は、膝が悪く、仕事も痛みをこらえてのことでした。
その先生のために、膝の具合が良くなる生薬を自ら探して、お届けする場面がありました。

まさしく、お取引の大きさではなく、すべてのお客さまに親切にするという姿勢でした。創業者は、小さな親切を積み重ね、地域のお客さまのお役に立つことを大事にしてきました。その結果、利は元にありという言葉通り、苦難を乗り越え社業を発展させることに成功しました。

武が社の創業者の精神は、お客さまに対して、小さな親切を積み重ねることを大事にし、社員(第2の家族)と取引先(仕事の友)と共に年輪経営を行うことです。

身の丈に合わない商売はしない、仕入れが安いという理由だけで取引先を変えない、正社員のリストラはしない、常に新しく良いモノを取り入れて提供していく、
どうしたら顧客のお役に立てるかという想いを強く持ち続ける、協調力を最も大切にする、という主義を大事に守り続けることこそが創業者の精神を継承していくことなのです。

我が社が厳しい環境の中で存在することが出来ているのは、今の礎をつくった社員たちの努力と取引先からのご支援と創業者の精神が生き続けているからなのです。
この創業の精神を継承し、「美しく貢献する」理念を体現します。